2012年3月31日土曜日


1,バカとテストと召喚獣
2,ギルティクラウン
3,あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない
4,けいおん!(1期、2期両方とも)
5,偽物語
6,WORKING"!(1期、2期両方とも)
7,青の祓魔師
8,化物語
9,男子高校生の日常
10,パパのいうことを聞きなさい!
他には、鋼の錬金術師、フェアリーテイル、ワンピース、ナルト、銀魂
バクマン。、ゼロの使い魔、かな

2012年3月29日木曜日


新型インフルがついに東京地区でも感染者が広がり始めているというニュースがこちらでも報道された。
関西地区で流行の兆しが見えてから、国内出張を手控えること、時差通勤を奨励、顧客訪問なども控えること、などの通達が勤務先で流れていた。

ここ英国でも感染者が発見されてから、何回か報道をにぎわせたこともあったが、最近ではめっきりそういう報道も減り、むしろ国会議員の公費乱用スキャンダルの方がヘッドラインを飾っている。

WHO(世界保健機構)の日次報告を見ると、英国を含む欧州の感染者の増加は収まっているようで、日本のここ数日の増加は目を見張るものがある。

あまり不安に駆られてパラノイアに陥るよりかは、季節性のインフルエンザ対策に基軸を移すと厚生労働省が先日発表したとおり、冷静に通常インフルエンザが流行した際同様に対処すればよいのではないか?

2012年3月27日火曜日


昨日は朝から会議で、夜は海野会だった。日本の経済の将来を30分語らせてもらった。明日は日本フォーム印刷工業連合会の講演と忘年会がある。今週は本当に夜討ち朝駆けで、昼間どこかで、居眠りをしないと、からだが持たない。昨日も長さんの講演途中で一時、失神していた。ところで、昨日から海野会は芝弥生会館から会社の隣のパールホテルになったので、ものすごく楽になった。そのため、体重計も皆さんにお土産として持って帰ってもらった。

さて、今日もMacかウィンドウズかの続きだ。アメリカの政治経済と違って、肩が凝らない。ただ、英語の勉強にはなるので、そっちの方はしっかり勉強してほしい。ちょっと長いがいつものように頭を使う必要はないので、この長さは苦にはならないだろう。

では始めよう。

Then again, judging a computer's value primarily in terms of the size of its drive or the quantity of ports is generally a bad idea. Macs are full of features that are hard to quantify but easy to love once you've experienced them:

それから、再び、主にドライブの大きさとか、もしくはポートの数で、コンピューターの価値を判断することは一般的に悪い考えだ。Macは定量化しにくいが、ひとたび経験したら容易に愛してしまうような最高の特徴を持っている。:

at the same time that many PC makers were slashing costs by moving tech-support operations to distant corners of the world, for instance, Apple reduced the distance between customer and service rep to a few inches by building more than 300 Apple Stores with in-person Genius Bar help desks.

多くのウィンドウズPCメーカーがコストを削減して、技術サポートの業務をその世界の片隅に追いやったその時に、アップルは顧客とサービスマンとの距離を数インチに縮め、対面のGenius Barヘルプデスクを持った300以上のアップルストアをつくった。

2012年3月26日月曜日


「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」No.3〜チベット問題・焼身抗議を考える〜

【チベット問題】

「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」No.3(2012年2月13日)

 〜チベット問題・焼身抗議を考える〜 川口英俊

No.1(

No.2(

今回は、まずダライ・ラマ14世法王猊下の「自殺」に関してのお考えについて考えて参りたいと存じます。

最も端的に猊下がそのお考えを述べられていると思われるのは、

『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』(2008年・角川文庫)

第一章・「死」とは何か・3自殺と殺人・p39-51

であるかと存じます。

これまで猊下関連の著書は数多く読了させて頂いておりますが、他の関連箇所の詳細を探索するには改めて全て再読・検証致さねばならないため、ここではあまりに時間が掛かりすぎてしまうので省略させて頂きますが、読者の皆様には、また色々と誤りがございましたらご指摘を頂けましたらと考えております。

まず、普通の一般的な自殺について、猊下は、悪い感情(怒りや憎しみ)が良き感情(慈悲心や愛情)に打ち克ってしまい、悪い感情が心の中を支配して、更には、死への恐怖さえも凌駕し、感情の暴発によって自ら命を絶つのだとご説明されておられます。

次に、真の意味で自殺は完遂しないことを述べられています。これは、あくまでも自殺の行為としての不成立についてのことで、もちろん、(己自身を殺すという)動機までも否定はされておられません。ここで、「あなた自身が死ななければ自殺が完成しない以上、あなた自身が己を殺すという行為を完遂させることは不可能である」と述べられておられますが、どこか中観思想的な考えを連想させる内容ではないかと考えております。「去る者は去らない」的なところでありますが、論点が空論にずれていく恐れが強いため、ここではあまり深くは踏み込まないことと致します。

そして次に、「ある特定の、ひじょうに限定された状況において、自殺は許される行為となりうることを言っておかねばならない」として、極限状態における自殺で許される場合があることについて述べられておられます。

ここで一人のラマ僧の瞑想による自殺のことを、自殺の認められる例として挙げられています。その認められる理由は、「他者に悪しきカルマをもたらすことを避けるため」ということで、それは通常であれば、自らを陵辱する怒り憎むべき敵である者たちにさえも慈悲心を起こして、その者たちに、自身が生き長らえる中において、これ以上にその者たちに悪いカルマを積まさせてはいけないとして、自らで瞑想死を選んだ例であります。

普通の人間、凡夫であれば、自らを誹謗中傷し、暴力・拷問して危害を及ぼして来る者に対して、そのように慈悲心を起こすことは到底考えられないことでありますが、高い悟りの境地に至っている聖者においては可能なこととなります。それは、むしろ忍辱・忍耐行をさせて頂けるための存在として、有り難い存在であり、当然に慈悲心を起こすべき存在であると考えるわけであります。この理解はなかなかできないのが凡夫であると言えるでしょう。

自殺の手段に関しては、瞑想であろうが、道具・毒薬を使おうが、真言(マントラ)の力に頼ろうが、手段の違いで自己の死という結果は変わりないと説明されています。