2012年3月26日月曜日

「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」No.3〜チベット問題・焼身抗議を考える〜 - 佛の道ブログ


「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」No.3〜チベット問題・焼身抗議を考える〜

【チベット問題】

「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」No.3(2012年2月13日)

 〜チベット問題・焼身抗議を考える〜 川口英俊

No.1(

No.2(

今回は、まずダライ・ラマ14世法王猊下の「自殺」に関してのお考えについて考えて参りたいと存じます。

最も端的に猊下がそのお考えを述べられていると思われるのは、

『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』(2008年・角川文庫)

第一章・「死」とは何か・3自殺と殺人・p39-51

であるかと存じます。

これまで猊下関連の著書は数多く読了させて頂いておりますが、他の関連箇所の詳細を探索するには改めて全て再読・検証致さねばならないため、ここではあまりに時間が掛かりすぎてしまうので省略させて頂きますが、読者の皆様には、また色々と誤りがございましたらご指摘を頂けましたらと考えております。

まず、普通の一般的な自殺について、猊下は、悪い感情(怒りや憎しみ)が良き感情(慈悲心や愛情)に打ち克ってしまい、悪い感情が心の中を支配して、更には、死への恐怖さえも凌駕し、感情の暴発によって自ら命を絶つのだとご説明されておられます。

次に、真の意味で自殺は完遂しないことを述べられています。これは、あくまでも自殺の行為としての不成立についてのことで、もちろん、(己自身を殺すという)動機までも否定はされておられません。ここで、「あなた自身が死ななければ自殺が完成しない以上、あなた自身が己を殺すという行為を完遂させることは不可能である」と述べられておられますが、どこか中観思想的な考えを連想させる内容ではないかと考えております。「去る者は去らない」的なところでありますが、論点が空論にずれていく恐れが強いため、ここではあまり深くは踏み込まないことと致します。

そして次に、「ある特定の、ひじょうに限定された状況において、自殺は許される行為となりうることを言っておかねばならない」として、極限状態における自殺で許される場合があることについて述べられておられます。

ここで一人のラマ僧の瞑想による自殺のことを、自殺の認められる例として挙げられています。その認められる理由は、「他者に悪しきカルマをもたらすことを避けるため」ということで、それは通常であれば、自らを陵辱する怒り憎むべき敵である者たちにさえも慈悲心を起こして、その者たちに、自身が生き長らえる中において、これ以上にその者たちに悪いカルマを積まさせてはいけないとして、自らで瞑想死を選んだ例であります。

普通の人間、凡夫であれば、自らを誹謗中傷し、暴力・拷問して危害を及ぼして来る者に対して、そのように慈悲心を起こすことは到底考えられないことでありますが、高い悟りの境地に至っている聖者においては可能なこととなります。それは、むしろ忍辱・忍耐行をさせて頂けるための存在として、有り難い存在であり、当然に慈悲心を起こすべき存在であると考えるわけであります。この理解はなかなかできないのが凡夫であると言えるでしょう。

自殺の手段に関しては、瞑想であろうが、道具・毒薬を使おうが、真言(マントラ)の力に頼ろうが、手段の違いで自己の死という結果は変わりないと説明されています。


物事の連中は女の子が知っているべきだと思う

そして、改めて、まず自殺は仏教徒にとっても悪しきこととして、当然に極力避けないといけないと前置きされた上で、ある極めて限定された極限状態の中で、例外的に否定されない場合があるということを述べられ、章の最後においては「殺人」について、その許容される唯一の場合として、お釈迦様が語られたことを例として挙げられておられます。

それは、「599人の生命を救うため、一人を殺すような場合として、599人が殺されることを防げるなら、その命を救うため、599人を殺す者が積む悪しきカルマを避けるため、一人を殺すことが絶対に悪だとは言い切れない」ということを述べられておられます。

以上で、『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』・第一章・「死」とは何か・3自殺と殺人・p39-51における猊下のお考えを概観させて頂きました。ここにおいて、自殺・殺人が認められる場合の要点を確認することができますが、それは、「他者に悪しきカルマを積ませないため」という利他・慈悲の行為として、極めて限定された極限状態の中で、例外的に否定されない場合があるということであります。

このことは、この度の焼身抗議について考える際における最も重要な視座であるのではないだろうかと存じております。

中原一博氏( @tonbani )のブログにおきまして、1月8日にゴロ・ダルラにて焼身抗議をなされて、その場で死亡されたトゥルク(転生活仏)ソバ・リンポチェ師の遺言の全文日本語訳が発表されました。

その全文の内容は、中原氏も述べられておられるように、まさに自らを灯明と化した菩薩たちの願いの全てがそこにあると私も思いますので、その全文の内容に関しまして次回No.4において考えさせて頂きたいと存じております。

「1月8日焼身死亡、ソバ・リンポチェの遺言 全訳」 - チベットNO/p>

【メモ】チベット人による焼身抗議(2009年2月〜)

仏教における「自殺」ということについてですが、不殺生戒を定めている仏教においては、他殺はもちろん、自殺も禁忌であると考えるのが一般的でしょう。もちろん、不殺生戒の原則はできるだけ守られなければならないのは当たり前のことであります。

しかし、仏教においては、殺生・自殺が認められる場合があることは、あまり知られてはいませんが、あくまで限定的・極限的に認められることがあります。

まず浅学菲才の未熟者なる私見の解釈としてご寛容頂ければと存じますが、殺生・自殺として認められないのは、煩悩、特には三毒である貪・瞋・痴に侵されていることでの殺生・自殺であり、限定的・極限的に認められる殺生・自殺とは、煩悩を完全に離れたる深遠なる慈悲・利他行としての殺生・自殺と考えております。

但し、あくまでもお釈迦様は、八万四千(数多くの例えとしての数字)とも言われている法門において、対機説法として教えを聞く者の機根(教えを理解できる能力)に応じて譬喩的に説かれた中におけることでの教説もあり、十分にその機根を備えていない者にとっては誤解を生じさせてしまうことになりかねないため、誰にでもその仏説が当てはまるわけではないことには相当に注意すべきであります。特に勝手な慈悲・利他行の解釈を使って、それを殺人肯定の論理にすり替えてしまうことは過去にも多くの例があります。(最近ではオウム真理教による事件が最も有名)


友人を破壊する方法

(お釈迦様も自殺に関しては、限定的に許容されておられる場合があったとされる例が初期経典の中にも見つけることができます。ヴァッカリの自殺・ゴーディカの自殺・シャーリプトラの自殺・チュンダの自殺・お釈迦様自身の延命拒絶など。また、殺人に関しても法華経・譬喩品や涅槃経・聖行品においてあくまでも譬喩的にそれが肯定的に説かれていると解釈される場合があります。更に補足としては、大量殺人者でありながら仏教帰依により聖者となられた例として、アングリマーラ尊、鬼子母神・ハーリティー、大元帥明王・アータヴァカなどの説話があります。)

自殺や殺人に関してのお釈迦様の教説の譬喩を理解するためには、やはり最低でも、確かなる出離心(迷いの世界から逃れたいと強く思う心)・菩提心(悟りを目指したい・一切衆生を救いたいと強く思う心)を起こし、煩悩・無明を対治するためにおける慈悲の働き(方便)と智慧(深遠なる空と縁起の理法の了解)の二資糧をある程度積んでいる前提があってこそであり、このことを理解せずに、安易に自殺・殺人の肯定を声高に主張することは相当な弊害をもたらしかねない危険性を孕んでいるため、非常に気を付けなければならないと考えています。

私自身も先の解釈においては、真なる深遠なる慈悲・利他行とは何であるのかについて、まだまだ理解浅薄であるため、本当に、これが認められる殺生・自殺、これは認められない殺生・自殺と決めることのできるような立場ではありませんことを、あしからずご了承頂けましたらと存じます。

さて、仏教における自殺には、捨身行としていくつかの行があります。それは、代表的には穢土(煩悩・無明の中での汚れた世界)としてあるこの世を速やかに離れて、仏の世界へと赴かんとするための「異相(いそう)往生」として、阿弥陀如来・極楽往生、弥勒菩薩・兜率天往生、観音菩薩・補陀落往生、薬師如来・浄瑠璃往生などの仏国土へと向かうために、断食・入水・縊死(首吊り)・埋身、そして「焼身」などにより、自殺するということが挙げられます。

特に「焼身」を選択して行う者が多く例としてあるのは、法華経の薬王菩薩本事品における内容が大きな影響を与えていることが考えられます。簡単には、薬王菩薩がその前世において、一切衆生喜見菩薩であった時に、師である日月浄明徳如来の法華経の説法に歓喜して、自らの身を焼いて日月浄明徳如来を供養したという内容であります。また、「焼身」での異相往生では、自らの往生だけではなく、それを見る者たちにも仏国土を目のあたりに体験させて、往生を期待させるためへの供養という意もあり、多くの見る者たちがあるため、後世に伝えられていることが多いのも確かでありますでしょう。

捨身行として更には、弥勒菩薩が如来となり兜率天からこの世に現れられるまでの衆生救済を目的として即身仏となるために入定する行も有名であります。また、チベット仏教において、かなり高い悟りの境地にある僧侶は、瞑想によって自らで自在に心臓を止め、呼吸を止めて死の状態を迎えて自殺することができる例もあるようです。

さて、ではこの度のチベットにおける焼身抗議、焼身による自殺は、仏教における自殺として果たしてどのように考えることができるのか、この自殺が仏教として認められるものであるのか、認められないものであるのかという、是か非かと結論づけることはこの浅学菲才の未熟者にはできませんが、これまでの仏教思想の学びからできるだけ真摯に考えて参りたいと存じます。

・・次号・No.3へと続く・・


このような家に住んでいる

次号では、ダライ・ラマ法王猊下の自殺に関してのお考えについて考慮できればと思っています。

参照

「仏教は自殺を本当に禁じているのか?」

「異相往生 −難行・苦行の浄土行」荒木睦彦氏

「癒しと救い―アジアの宗教的伝統に学ぶ」(2001年)・立川武蔵先生編集・玉川大学出版部

第8章・仏教における殺しと救い-森雅秀先生

参照 ウィキペディア関連用語内

・薬王菩薩

・入定

・・

「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」No.1(2012年2月10日)

 〜チベット問題・焼身抗議を考える〜 川口英俊

2008年3月10日にチベット・ラサで発生した大規模抗議行動からもうすぐ4年になろうとしている。これまでも半世紀にわたる中国政府による耐えかねる弾圧・圧政により、命を奪われ、また、自ら命を絶ったチベット人が数多くいる中で、自らに火を放ち、焼身してまで抗議の声を叫ぶに至った最初の犠牲者とされるのが、2009年2月27日、チベット・アムド地方アバ・キルティ僧院の僧侶・故タペー氏の焼身抗議である。

以来、現在(2012年2月8日)までに、チベット本土で焼身抗議を行った者は、既に20名を超え、そのうち少なくとも14名が亡くなり、数名が行方不明のままである。また、これまでの抗議への弾圧により、凶弾に倒れた者、不当逮捕・投獄された者、行方不明となっている者は数え切れないほどになってしまっています。

チベット問題の起因は、第二次世界大戦後、中華人民共和国の建国に伴って、中国がチベット支配・統治を進めるために様々な弾圧を進めてきたことにあります。特に、1949年からの軍事侵攻や飢餓などにより命を落としたチベット人犠牲者の数は100万人を超えているとされ、大量虐殺と共に、著しい人権侵害、民族・文化・宗教破壊、思想強要が行われているとして、現在においても国際的に解決・改善が必要な問題として扱われるように提起がなされています。

特に凄惨さを極める圧政・弾圧の嵐の中で、1959年3月のラサ民衆蜂起においてダライ・ラマ14世法王猊下がインドへと亡命し、亡命政府を樹立するに至ったことは象徴的な出来事となり、チベット人たちの心の支えである拠り所、チベット仏教界の指導的立場である法王猊下を失った打撃は計り知れないものとなりました。その後も共産党による民主改革や文化大革命、改革開放政策の下で、チベット人たちへの蹂躙は絶え間なく続き、主に挙げるだけでも、チベットへの漢族大量移民による民族浄化問題、チベット人大量失業・貧困化問題、チベット語・文化・芸術・教育の破壊問題、信教・言論の自由への侵害問題、環境問題・核開発問題などと、多くの圧政・弾圧による弊害がいまだに生じてしまっている状況となっています。

このような中で、ダライ・ラマ14世法王猊下は、亡命以来、チベット問題改善を国際社会に広く訴えられてこられたものの、いまだ十分な成果を得られることはできずのままであり、また、本土でもチベット人たちによる激しい抗議行動が繰り返されてきましたが、ことごとく封殺されてしまい、一向に改善されることなく今日に至っています。

近年の本土でのチベット人による抵抗運動においては、法王猊下の意向を汲んで、非暴力的な抗議行動が行われていますが、それでも激しい弾圧は依然として続き、ついには自らに火を付けて訴えるという手段を行うまでになってしまうほど状況は追いつめられており、2009年2月の僧侶・故タペー氏による焼身抗議以来、特に2011年3月からのここ一年にわたっては焼身抗議が続発している異常な事態となってしまっています。

・・次号・No.2へと続く・・


参照 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所サイト内

「チベットを知るために」

参照 ウィキペディア関連用語内

・チベット問題

・チベット動乱

・1959年のチベット蜂起

・2008年のチベット騒乱

・・

現在進行形のチベット情勢に関しての情報については、主に中原一博氏からのツイッター・ブログによる情報を参照とさせて頂いております。

チベットNOW@ルンタ・ダラムサラ通信

・・

チベット問題を平和的に解決し、平等と相互協力を基盤にチベット人と中国人が共存・安住できる社会の実現を目指して、ダライ・ラマ14世法王猊下が提唱しておられる「中道のアプローチ・チベット問題解決に向けての骨子」は下記、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所サイトのページをご参照下さい。

≪ 1960年 亡命直後のダライ・ラマ法王による祷りの詩 ≫

(翻訳:石濱裕美子先生)

海のように果てしない徳をそなえて

すべての非力な生き物を、たった一人の我が子のように愛される

過去・現在・未来に出現される方(仏)よ、その子(菩薩)よ。その弟子たちよ。

どうかこの私の真実の叫びを聞いてください。

この世の苦しみを取り除く、完璧な仏の教えは

全世界の幸福をになっている。

この教えを奉じている学者や行者たちの

十種類の法行(正しい仏教の修行)が栄えて行きますように。

恐ろしい乱暴な悪行の徒に迫害されて

絶え間なく苦しんでいる非力な生き物たち

かれらの堪え難い、病と戦争と飢えの恐怖が

鎮まって、平和の海の中で安らげますように。

とりわけ、敬虔な雪国(チベット)の人々が、

仏教を信じない異教徒の群によって無慈悲に

荒々しく滅ぼされて、流した血と涙の河が

すぐにとまるように、慈悲の力を生じてください。

煩悩という魔物に惑わされた残虐な行為により

自分も他人も滅ぼすものは哀れむべきものたち。

この乱暴な人々の群がなすべきこと・なさざるべきことを判別できる目を

得て、愛をもってわたしたちの友となるように。

長く心に暖めてきた願いがかない、

チベットの完全独立が自ずとかない、

仏教にもとづく政治が栄えるような

そのような良き時代をすぐに与えてください。

仏の教えとその教えを守っている政府や民のために

自分の可愛い身体や財産をなげうって

千の困難を味わっている人々を

ポタラにいる方よ(観音様よ)、お守り下さい。

まとめると、頼るべき方観音様は、

仏と菩薩の眼前で「このチベットの地を護ろう」と広大な祈願をたてられた。

その祈願の結果がすぐに現実のものとなりますように。

この世界と空性(一切ものに実体がない)の本質である深遠なる縁起と

最高の三つの宝(仏とその教えとその教えを奉じる僧侶)の力と真実の言葉の力と

良い行為には良い結果が、悪い行為に悪い結果が必ずでるという真実の力によって、

我々のこの真実の祈りが障りなく現実のものとなりますように。

以上ここまで。



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