Asahi.com(朝日新聞社):できる子伸ばせ 世界レベルへ選抜合宿―教育あしたへ3 - 教育あしたへ
沈黙が3分続いている。
12月29日、千葉県立船橋高校のがらんとした校舎の理科実験室。生物部の4人は「教科書」をにらんだままだ。
同高は2009年夏、世界の高校生が競う「国際生物学オリンピック」で、日本初の金メダリストを出した。約2千人の予選参加者から代表4人が出場する今年夏の大会でも、2年生の大塚祐太さんと相馬朱里(あか・り)さんが15人いる最終候補に残っている。
2人は2日前、2泊3日の代表候補合宿を終えたばかりだ。いま読んでいるのは「キャンベル生物学」という米国の大学で使う教科書の日本語版。約1500ページある。段落ごとに声を出して読み上げ、一字一句咀嚼(そ・しゃく)する。疑問があれば話し合い、原典にもあたる。誤訳もよく見つかる。
「なぜがんで死ぬんですか?」。相馬さんの一言で議論になった。「周りの細胞を壊して臓器の働きが損なわれるからじゃないかな」と顧問の石井規雄先生(60)。「増えて物理的に壊すのですか? 毒性を持った物質を出すってことはあり得ないですか?」。相馬さんはこだわった。「変な細胞が一つできるだけなら病気にならない気がしない? それが死ねば終わりだから」と大塚さん。「良性のがんも増えるのに、悪性との違いはどこにあるのでしょうか?」
2時間で進むのはせいぜい10ページ。明快な答えは必ずしも出ない。石井先生もこだわらない。科学に必須な発想力や論理的な思考力は、「答えのある問題」を解いているだけではつかない。自分の頭で考えるしかないという。
数学や物理、生物など国際科学五輪の多くは20年以上の歴史を持つが、国の支援で日本が参加したのはここ5〜6年だ。国別順位でみれば10位以内に入ればいい方だ。
戦後、日本の教育は全体の底上げに重きが置かれ、「できる子」は、逆に放っておかれがちだった。それが、ゆとり教育や学力低下が問題となったのを機に、才能を伸ばす試みへのタブー視は薄まりつつある。文部科学省は高度な理数教育をする高校を全国で100校以上指定している。県立船橋高もその一つだ。
なぜAUSTはイラクへ行った
「大会には『少年ジャンプ』を持って行け」。08年、生物五輪インド大会の銀メダリスト海老沼五百理(い・ほ・り)さん(20)=東京大学1年=によれば、歴代日本代表にひそかに受け継がれる言い伝えだ。
国際大会は約1週間。世界の同世代と同じホテルに泊まり、試験以外にも様々な行事がある。「考え方も、背負ったものも違う。英語もあまりしゃべれない。でも、高校生だから失うものはない。何の話をしても楽しかった」
日本のマンガやアニメは格好の話題となる。果たして海老沼さんもジャンプで連載中のマンガについて聞かれた。ふだん読んでいないから答えられない。この場面、当時の日記にこう記した。「びっくりしたのが『NARUTO』の世界的な存在感。もしかしてグローバルな常識に乗り遅れていますか? 私」
海老沼さんは生物だけでなく化学五輪にも「熱中」してしまい、浪人生活を送った。
それでも科学五輪の経験は「何ものにも代えがたい財産だ」と断言する。「世界の同世代と知り合えて、先の見えない広さがあることが実感できた」。少年ジャンプを持っていかなかったことは今も後悔している。(行方史郎)
■若者よ研究室の外へ
クリスマスを迎え、閑散としたキャンパスに全国から12人の中・高校生が集まった。東京工科大学(東京都八王子市)であった物理五輪日本代表候補の集中合宿だ。
選手の育成と選考には1年をかける。物理の冬合宿は12月25日から3泊4日。午前9時から午後9時まで、学校でやらない実験や理論を教える。指導するのは大学や高校の教員、代表OBたちだ。
初顔合わせで、一人ひとりが自己紹介する。集合に少し遅れてきた富山市の山本英明さん=片山学園高校2年=はあいさつで笑いをとった。「学校が山奥にあって、雪が30センチも積もっていて、電車も遅れ遅れで、不可抗力もあるんです」
宮城県の佐藤遼太郎さん=秀光中等教育学校5年=は2年連続の参加。前回は代表にはなれなかった。「学校で物理や数学の面白さを広めようとしたけど、うまくいかなかった。この4日間を楽しみたい」
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夏にある本大会に代表として出られるのは5人。でも、同じ釜の飯を食った者同士の交流は卒業後も続いていく。
しかし、彼らを待ち受ける日本の現状は心もとない。
日本では、将来のモノづくりや研究開発を担う人材を養成すべく1990年代以降、大学院博士課程の人員を増やした。しかし、大学の、研究者になるポストは限られ、民間への就職も思ったようには進まない。大学への交付金は減り、現場の反発も強まる。博士課程への進学率は、理学や農学を中心に低下傾向にあり、「優秀な学生が残らない」との声も聞く。
こうした現実は、さらに下の世代へと漏れ伝わる。
川端達夫・前文部科学相は昨年8月、数学五輪メダリストたちと交わした会話が忘れられない。「君たち、進路は?」と聞くと、多くが「東大に行きたい」。でも、ほとんどが医学部志望だという。「数学者の道は?」と聞くと、1人が言った。「そういう道を選びたいとは思っているが、親が反対している。それでは食っていけないぞ、と言われている」
才能を伸ばすためには若いころに様々な経験を積むことが欠かせない。だが、国の教育再生会議のチームは07年、日本の大学院について「個々の研究室が極めて狭い領域の指導に偏り、組織的な教育がなされていない」と指摘。学生の「囲い込み」や教員組織の「学閥」が、人材の流動性を阻害していると分析した。 米国では大学院に進学するとき、出身大学から離れるのがふつうだ。「なぜ優秀な学生を手元に残さないのか」。船井情報科学振興財団常任理事の益田隆司・東京大学名誉教授は米国であえて聞いて回ったことがある。異口同音に「他で学ばせた方が学生が成長する確率がはるかに高い」という答えが返ってきた。
■違う人種 違う学問「刺激的」
米国ハーバード大の例をみてみよう。
ボストン近郊にあるキャンパスに学ぶ小林亮介さん(19)は2年生唯一の日本人だ。入学式で学長が語った言葉を覚えている。「ハーバードの歴史上、あなた方が最も多様性に富んだクラスであることを誇りに思う」
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ここの学部生は、原則、寮生活を送る。人種、宗教、国籍が違う学生を相部屋にする。小林さんの場合、マケドニアの高校出身のイタリア人、中国系のマレーシア人、高校から米国に住むメキシコ人が一緒。応用数学、有機化学など、専攻もまちまちだ。
白人は半数以下で、ウォール街で働く金融マンの子息もいれば、母子家庭出身もいる。年収6万ドル(約480万円)以下の家庭の場合、年間総額5万ドルの学費・寮費は無料。留学生の割合も、東大の2%に比べて約1割に上る。「毎日が刺激的」と小林さんは感じる。
米国人にとっても異質な考えと接するのは貴重な経験のようだ。ペンシルベニア州出身の4年生、エマ・ベニテンデさん(21)は、「ハーバードでのいろんな人たちとの出会いが大学生活を豊かにしているのは間違いない」。
大学事務局は「多様性は大学が進化するためには欠かせない要素だ」と説明する。様々な人材を発掘してきて、学内で交ぜ合わせることによってこそ、予想できない化学反応が起きるという考えだ。
教員とて例外ではない。ハーバード初の女性学長、ファウスト氏は、草創期を除けばハーバードで学位を得ていない初の学長でもある。看板は同じでも、伝統を担う人材は時代とともに変わり続ける。
こうした発想を取り入れた試みは日本にもある。
午後3時、鐘の音とともに吹き抜けのホールに研究者が集まってきた。カップ片手に談笑が始まる。学生やゲストもいる。東京大学数物連携宇宙研究機構(千葉県柏市)恒例の「ティータイム(お茶の時間)」の始まりだ。
難解な数式が書き込まれた黒板があちこちにある。さっそく黒板に移って議論をするグループもいる。1時間後、片付けをする事務職員も黒板だけはそのままにしておく。
ここにいる約70人の研究者の半分は外国人。国籍だけでなく、天文や数学、理論物理など専門も様々だが、お茶の時間への参加は「義務」だという。村山斉(ひとし)機構長が言う。「研究は一つの見方やアプローチだけでは行き詰まる。異分野の研究者と交じり合い、新鮮な視点・手法を持ち込みあってこそ活性化する」
テーブルに毎回並ぶ手作りの菓子はボランティアからの差し入れだ。村山さんが1年間いた米国のプリンストン高等研究所では、世界公募で選ばれたシェフがクッキーを焼いていた。「お菓子につられて歴史、音楽から物理、数学まで、ほぼ全員が集まってくる。その雰囲気からどれほど新しい発想が得られたか」
「ヘテロジェナイティ(異質性)」。理化学研究所の上田泰己(ひろ・き)プロジェクトリーダー(システム生物学)は、これからの日本に必要な発想を生物学の用語を使って提案している。意味するところは「異質なものが同居・競争・協同する仕組みづくり」。
上田さんは製薬会社勤務を経て、8年前、27歳で大学の教授に相当する理研のチームリーダーに起用された。
互いに違った属性や価値観を持った人たちがヘテロ。ただ、ヘテロの同居は必ずしも心地良くない。けんかや対立もある。効率的とも限らない。しかし、上田さんは言う。「異質な者が交われば従来にない発想が生まれる。向かうべき未来の見えない時代だからこそ、必要なんだと思う」(田中光=ニューヨーク、行方史郎)
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