外務省: よくある質問集 中東
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問1.中東和平問題とは何ですか。
第二次世界大戦後、英国がパレスチナ委任統治を終えるに当たり、国連ではパレスチナ分割決議(ユダヤ人国家、アラブ人国家、国際管理地区に分割)が採択(1947年)されました。翌年、同決議に基づきイスラエルが独立を宣言しましたが、これを認めない近隣アラブ諸国は宣戦を布告し、第一次中東戦争が起こりました。その後、今までに数次にわたる戦争が繰り返されており、特に1973年の第四次中東戦争の際に起きた石油危機は、経済面においても世界に大きな影響を与えました。
中東和平問題とは、こうした経緯を背景に、数次にわたる戦争でイスラエルが占領した土地(ヨルダン川西岸、ガザ地区、ゴラン高原)を、イスラエルの安全を確保しつつパレスチナ人を含むアラブ側に返還して、いかに和平を実現するかという問題です。特にイスラエル・パレスチナ双方の間では、難民、入植地、エルサレム、国境画定など個々の問題の解決を図って、イスラエルとともに共存共栄するパレスチナ国家を建設することが目標とされています(「二国家解決」)。
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問2.なぜ日本は中東和平問題に関わるのですか。 また、日本の中東和平問題に対する基本的な立場を教えてください。
中東地域では、イスラエル・アラブ諸国の数次にわたる中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争やイラク戦争など多くの紛争が起きており、冷戦後もなお不安定であり続ける地域です。
一方、中東地域は、世界の石油埋蔵確認量の59.9%を占め、また、世界の原油年間生産量の31.9%を占めていることから(いずれも2009年BP統計に基づく)、主要なエネルギー源として、同地域の不安定化は、直接に国際社会の安定と繁栄に影響を与えています。
中東和平問題は、中東地域においても最も長く続く紛争であり、国連をはじめとする国際社会が取り組み続けてきた国際紛争の一つです。この問題を巡って、ひとたび地域で緊張が高まれば、世界の平和と安定にも大きな影響を及ぼしかねません。日本は、国際社会の平和と安定に主要な責任を果たす国として、同問題への積極的な関与が期待されています。
日本としては、「二国家解決」に基づく公正、永続的かつ包括的な和平が実現することを望んでいます。そして、これに向けた米国等の国際社会の努力を支持しつつ、自らも独自の役割を模索してきており、次に述べるような各種取組を推進してきています。
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問3.日本は、中東和平問題に対してどのような貢献を行っていますか。
市会議員"子どもは明日になる"
日本は、1993年のオスロ合意成立以降、1990年代の多国間協議への参加、総理大臣、外務大臣、中東和平担当特使のイスラエル及びパレスチナ自治区訪問、1996年来の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)への自衛隊員派遣、総額約10億ドル以上の対パレスチナ支援実施など、中東和平問題に積極的に関与してきました。
特に、近年は、(1)オルメルト・イスラエル首相(当時)の訪日(2008年2月)や、中東和平担当特使による関係国への働きかけ等の政治的働きかけ、(2)2009年3月のガザ復興支援国際会議で拠出を表明した当面2億ドルの実施等の対パレスチナ支援、(3)信頼醸成会議(2008年10月に第4回を実施)、イスラエル・パレスチナ合同青年招聘、外交官招聘等の当事者の間の信頼醸成に向けた取組、(4)「平和と繁栄の回廊」構想の推進等の中東和平プロセスの前進に向けた政治的・経済的な取組を積極的に行ってきています。
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問4.「平和と繁栄の回廊」構想とは何ですか。
和平の実現を後押ししていくためには、当事者が真摯に和平交渉を続けるよう双方に粘り強く働きかけていくとともに、「平和の配当」によって人々に希望をもたらし、当事者間の信頼醸成を促進させるような経済開発等の試みを通じて、当事者による和平努力を支援していくことが重要です。特に、イスラエル・パレスチナ間の紛争の場合、パレスチナ自治区の人々は、イスラエルによる占領に対して大きな不満と反発を抱きながらも、経済面では、長年にわたる占領の影響で、なかなか自立できないというジレンマに陥っています。そして、これが中東和平問題を更に複雑化させる一つの要因となっています。
こうした認識の下、2006年7月、日本は、イスラエルと将来の「パレスチナ国家」による共存共栄の実現に向けた中長期的な取組として、パレスチナ、イスラエル、ヨルダン、日本の4者による域内協力を通じてヨルダン渓谷の経済開発を図り、もって当事者間の信頼醸成を促進しつつ、パレスチナ経済の自立化を目指すという「平和と繁栄の回廊」構想を提唱しました。
そして、この構想を具現化するため、パレスチナ自治政府、イスラエル、ヨルダン、日本の4者による協議体が立ち上げられ、具体的にどのようなプロジェクトを現地で実施すべきかにつき、4者間で緊密な協議が行われているところです。これまでの議論の結果、ヨルダン川西岸においては、農産業が経済開発の主導的役割を果たし得ると判断されたことから、まずは、ヨルダンとの国境近辺に位置するジェリコ市の郊外に農産加工団地を建設するとともに、そこからヨルダンを経て湾岸諸国等に向けた物流ルートをヨルダン及びイスラエルの協力を得ながら構築するというプロジェクトが考案され、現在日本としても、その実現に向けて鋭意取り組んでいるところです。
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問5.中東和平問題に対する国際社会の取組について教えてください。
公園とカイヤホガフォールズああ
中東和平問題は、最も長く続く地域紛争の一つであり、国連やアメリカ、EUなど国際社会が問題の解決に向けて努力を続けてきました。具体的には、イスラエル・パレスチナ双方に対する働きかけや国連での決議採択、国際会議の開催、経済的・人道的支援などを行っています。最近では、2003年にカルテット(米国、EU、ロシア、国連の4者)が提示した「ロードマップ」をイスラエル・パレスチナ双方が受け入れ、2007年11月に、米国主催で「アナポリス中東和平国際会議」が開催され、イスラエル・パレスチナの両当事者を含め、50の国及び国際機関等が参加し、和平交渉再開に向けたイスラエル・パレスチナ間の合意がなされました(2008年末からのイスラエルによるガザ進攻により、交渉は中断されています)。また2009年3月には、� �スラエルによる進攻を受けたガザの復興に関する国際会議が開催され、国際社会として、過去の支援表明の再確認も含めれば、総額52億米ドルの対パレスチナ支援が表明されました。
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問6.ロードマップとは何ですか。
2003年4月にカルテット(アメリカ、EU、ロシア、国連の4者)が、イスラエルとパレスチナの平和的な二国家共存に向けて、イスラエル側・パレスチナ側の双方が実施すべき措置を段階に分けて行程表の形で整理して発表した文書です。2005年末までに問題の最終的解決を図ることを目標とし、それに至る道程を三段階に分けています。同年6月までにイスラエル・パレスチナ双方に受け入れられました。その後もイスラエル側とパレスチナ側の間で暴力の応酬が続くなど、現時点においてもロードマップの実施は、その第一段階さえ達成されていません。しかし、このロードマップは、中東和平の進展に関し、イスラエル・パレスチナの双方が受け入れた基本文書として重要であり、今後とも、国際社会とともに、日本としてロードマップ の履行を両当事者に働きかけていきます。
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問7.イスラエルと周辺諸国との関係はどのようになっていますか。
アラブ・イスラム諸国の中で現在イスラエルと外交関係を有しているのは、エジプト、ヨルダンの2か国のみです。特に、中東和平問題の当事国であるシリアやレバノンとの二国間和平交渉は中断したままとなっています。また、イスラエルは、サウジアラビア等のいわゆる穏健派との関係改善を試みているとの見方もあります。
一方、アラブ諸国は、2002年にアラブ連盟において採択された「アラブ和平イニシアティブ」において、イスラエルが、全アラブ占領地からの撤退、パレスチナ難民問題の公正な解決、及び東エルサレムを首都とする主権を有するパレスチナ国家樹立を受け入れれば、イスラエルとの紛争終結・和平合意、及び正常な関係の構築を実施することとしています。
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問8.入植地とは何ですか。
マイルのトラフィックを妨害するためにどのような問題ありません
中東和平問題における入植地の問題とは、イスラエル人が、占領地である東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区に住宅を建設して、入植している問題です。入植地の最終的な地位については、オスロ合意やロードマップ等にあるとおり、イスラエル・パレスチナ両者間の交渉で決定されるべきであり、日本は、両者間の交渉が早期に開始され妥結するよう求めていきます。
しかしながら、こうした入植地に対しては、パレスチナ側の強い反発があり、また、これを国際法違反とする国連安保理決議もあり、日本を含む国際社会は、イスラエルに対し、入植活動の凍結・停止を呼びかけてきています。
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問9.パレスチナ自治区とは何ですか。
1993年の暫定自治原則宣言(オスロ合意)や、1994年の先行自治合意(ガザ・ジェリコ合意)などを受けて、パレスチナ解放機構(PLO: Palestine Liberation Organization)がパレスチナ暫定自治政府(PA: Palestinian Interim Self-Government Authority)を設立し、最終的に、ヨルダン川西岸地区及びガザ地区において自治を開始しました。この両地区をパレスチナ自治区と呼んでいます。
なお、西岸地区においては、イスラエルが行政権限を保持している地区が存在しており、実際にPAの自治が及んでいるのは約40パーセントにとどまっています。
また、ガザ地区については、2007年6月に、イスラエルの生存を認めないハマスが武力で掌握しており、現在のところ、PAの自治は事実上ガザ地区に及んでおらず、西岸と事実上分裂状態にあります。
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問10.ハマスとは何ですか。
ハマスとは、1987年にイスラム主義運動家であるヤシン師がガザ地区を中心に創設したイスラエルに対する抵抗組織です。その名前は、「イスラム抵抗運動」を意味するアラビア語の頭文字をとったもので、「情熱」という意味の単語にもなります。ハマスは、イスラエルの生存を否定しています。日本は、ハマスを、国連安保理決議1373に基づいて、外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づく資産凍結措置の対象としています。
ハマスは、2006年1月、国会にあたるパレスチナ立法評議会選挙で過半数の議席を獲得し、一時、パレスチナ自治政府(PA)の内閣を主導していましたが、2007年6月にガザ地区を武力掌握し、同内閣はアッバースPA大統領により解散されました。2008年6月には、イスラエルとの6か月の停戦に合意しましたが、同年12月、停戦終了を宣言し、ガザからの対イスラエル・ロケット攻撃を本格化させ、同年末からのイスラエルのガザ攻撃につながりました。翌2009年1月には双方が一方的に停戦を宣言し、現在もその状態が継続しています。
ハマスは暗殺等を警戒し、その組織系統等に関して一切対外公表していませんが、同組織が事実上掌握するガザ地区や、シリア等を拠点とする海外指導部を根拠とし、活動を継続していると見られます。
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問11.日本は、イラクに対してどのような支援を行っているのですか。
日本は、イラクの復興と安定の為に、ODA及び自衛隊の派遣を「車の両輪」として積極的に支援してきました。
自衛隊については、イラク特別措置法に基づき、2004年1月~2006年7月の期間、陸上自衛隊を南部のサマーワに派遣し、給水・医療・道路等の分野で人道復興支援事業を実施しました。また、2004年3月~2008年12月には、航空自衛隊が国連及び多国籍軍に対しイラク国内を含む輸送支援を実施しました。自衛隊については、イラク政府の意向も踏まえ、2008年12月に任務を終了させました。
ODAについては、マドリッド会合(2003年)で最大50億ドル(無償15億ドル+円借35億ドル)の支援を約束し、無償資金協力については約17億ドルの支援を実施しました。円借款(最大35億ドル)については、これまで、電力、運輸、石油、灌漑等のインフラ分野の12案件(約23億ドル)に関する交換公文を署名しました。この他、約67億ドルの債務救済支援を実施しました。
今後はODAによる支援の継続とともに、経済ビジネス関係の強化等によりイラクとのパートナーシップ関係を一層強化していく考えです。
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問12.日本はこれまでどのような支援をアフガニスタンに対して行ってきているのですか。
日本は、アフガニスタンを再びテロと麻薬の温床にしないとの決意の下、国際社会と協力して積極的に同国の復興支援を進めてきています。具体的には、2001年9月以降、政治プロセス、治安の改善、復興支援、その他人道支援の分野で約17.8億ドルの支援を行ってきました。
日本が行ってきた支援の成果として、以下の具体例があります。
(1)教育、保健・医療、水等の基礎生活分野では、
(イ)550以上の学校を建設又は修復、
(ロ)JICAの指導による約1万人の教師育成、
(ハ)約30万人を対象とした識字教育、
(ニ)のべ4,000万人に対するポリオ、BCG等のワクチン供与、等を実施。
(2)農業・農村開発では、JICA日本人専門家による稲作技術指導や、運河建設等のコミュニティに根ざしたプロジェクトを約2,000件実施。
(3)インフラ整備では、約650キロメートルの幹線道路を建設。これは東京・岡山間の高速道路の距離に匹敵します。また、カブール国際空港ターミナルの建設をはじめ、カブール市のインフラ整備も進めています。
(4)治安分野では、DDR(元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰)及びDIAG(ダイアグ:非合法武装集団の解体)を主導。約6万人を対象としたDDRは2006年6月に完了しました。DIAGにおいては、564の非合法武装集団が解体され、約10万の武器がアフガニスタン政府の管理下に入る等の成果が得られています。また、日本国内でのアフガニスタン警察官に対する研修や、国境警察施設建設等の協力も行っています。
(5)バーミヤン遺跡の修復支援といった文化面での協力や、復興プロセスの端緒となるアフガニスタン復興支援国際会議を東京で開催するなど、政治的支援においても主要な役割を果たしてきました。
2009年3月、日本は、アフガニスタン大統領選挙及び県議会選挙の成功裏の実施のために、選挙実施経費や、アフガニスタンの全警察官約8万人の半年分の給与に相当する支援を含む約3億ドルの対アフガニスタン追加支援を実施しました。
アフガニスタンの復興には進展も見られるものの、依然多くの課題が山積しています。日本としては、今後ともアフガニスタンの本格的な復興を実現するため、(1)DIAGをはじめとする治安の改善、(2)道路などのインフラ整備、(3)教育及び保健・医療等の基礎生活分野、(4)農業・農村開発を中心とする地方総合開発等を、引き続き積極的に支援していく考えです。
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