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ドイツではA級戦犯、B・C級戦犯という呼称はなく、主要戦争犯罪人と(単なる)戦争犯罪人という言い方をします。そこでここでは、主要戦争犯罪人を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判以外はすべて、いわゆる日本で言うB・C級戦犯裁判と考えて回答いたします。
ドイツでの(B・C級)戦犯裁判について日本での研究例はあまり多くありませんが、次の文献はヨーロッパ諸国内での反ナチス裁判について興味深くまとめています。
野村二郎『ナチス裁判』(講談社現代新書)
ドイツ語を読める人には基本的なものを2点あげておきます。
Adarbert Rueckerl, NS-Verbrechen vor Gericht. Versuch einer Vergangenheitsbewaeltigung (Heidelberg,1984).
Albrecht Gaetz, Bilanz der Verfolgung von NS-Straftaten (Koeln, 1986).
さて、ドイツにおける戦犯裁判は米英仏ソの4占領国によるものの他、それ以外のヨーロッパ諸国で行われたものがあります。
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まずアメリカによる裁判ですが、ニュルンベルク国際軍事裁判が終了した後、同じ場所でアメリカ占領軍によるニュルンベルク継続裁判が行われます。この裁判は全部で12件ありましたが、そこではSS隊員、国防軍将校、医師、外交官、裁判官、企業家など合計184名が被告になり、うち24名が死刑、20名が終身刑、98名が有期刑、35名が無罪、7名が病気その他で審理除外となっています。アメリカによる裁判はこれ以外にご指摘のダッハウ裁判があります。この裁判ではダッハウをはじめブーヘンヴァルト、フロッセンビュルク、マウトハウゼンなどの強制収容所関係者が裁かれました。このうちダッハウ強制収容所員に対する裁判では被� ��40名中、36名が死刑判決で、うち32名が執行されています。ダッハウ強制収容所が解放される直前にSS隊員は逃亡を試みていますが、なお所内にとどまっていた所員は米軍により逮捕されました。ダッハウでは捕虜に対する生体実験が行われていましたが、これに関わった軍医も逮捕され死刑判決を受けています。以上のニュルンベルク継続裁判、ダッハウ裁判を含めアメリカ占領地区全体で被告1941名、うち324名死刑、247名終身刑、946名有期刑、367名無罪、57名不起訴となっています。
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イギリスの裁判はヴェネツィア裁判、ハンブルク裁判、アウシュヴィッツ裁判、ベルゲンベルゼン裁判などがあり、全体として英軍事法廷では1085名の被告中240名が死刑になっています。その他の量刑については不明です。
フランスの場合はノイエブレム裁判、ナッツヴァイラー裁判などがあり、2107名被告中、104名死刑となっています。この他にフランス国内での戦犯裁判があったようですが、詳らかにしません。その他の量刑については不明です。
ソ連については詳細な数字が明らかになっておらず、ソ連占領地域、ソ連国内でどの程度の戦犯裁判が行われたのかはよく分かりません。一方、1950年代初頭にソ連のジューコフ将軍が東ドイツ政府に対し1万名の有罪者を刑に服させるため移送させると通告し、同時期、3432名の抑留者が東ドイツに犯罪行為調査のため移送されています。東ドイツでは裁判の結果、全員が有罪となり、うち32名に死刑判決が下されています。ただ、私の推測ではソ連による戦犯裁判の人数は以上の程度に収まるものではないと思います。
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以上が4占領国による裁判ですが、それとは別にヨーロッパ諸国でドイツ戦犯裁判が行われています。例えばポーランドでは1977年までに5358名が有罪を宣告され、同様にベルギーで75名、デンマークで85名、ルクセンブルクで87名、ノルウェーで81名、オランダで240名が有罪者となっています。また、ご承知のように1961にイスラエルでアイヒマン裁判が行われ、死刑に処せられています。ところで、ナチス犯罪の場合、このような諸外国による戦犯裁判の他に、ドイツ、オーストリア国内でも裁判が行われています。まずドイツでは1992年までの数字でナチス犯罪で有罪になった数は6488名を数え、オーストリ アでは1972年までに、1万3607名有罪、うち43名死刑(30名執行)、29名終身刑、他有期刑となっています。
以上のようにナチス戦犯に対する裁判の概況はここに挙げた数字程度には明らかになっています。量刑の根拠など細かい点までは私にも分かりませんが、多少推測を入れて回答しますと、まず、死刑、終身刑、有期刑といった量刑の基準は犯罪の内容、関与の程度などによる総合評価だと思います。実際に多数の民間人、戦争捕虜の殺害に関与したことが明確である場合には死刑にされ、単に上官命令によるもの、直接の殺害行為ではなかった場合などは、態様に応じて減刑されたものと思われます。処刑は当然非公開にされたはずですが、すべてがそうであったかどうかは分かりません。実際、例えばアウシュヴィッツ強制収容所長であったルドルフ・ヘースの場合はポーランドに身柄� ��移送された後、ポーランドの軍事裁判で死刑判決を受け、アウシュヴィッツ収容所のガス室前の屋外に処刑台を設置して処刑されています。死刑囚のその後の遺体の扱いについてはよく分かりません。
ところで、終身刑、有期刑になった人々はドイツの占領解除以後、恩赦などによりほとんど釈放されています。例えばアメリカによる裁判で有罪にされ、収監されていたものは1958年までにすべて釈放されています。またソ連は1955年9月アーデナウアーとの話し合いに基づき、なお生存している9155名のドイツ人戦争捕虜を釈放しています。ドイツが東西に分割され、東西両陣営がドイツ内部で退治している国際政治の現実の中では、第二次世界大戦時の後遺症をいつまでも引きずっているわけにはいかなかったのでしょう。冷戦の影響が戦犯裁判にまで及んだものと思われます。以上がだいたいの概況ですが、この問題について日本での研究はまだ不十分です。今後の課� ��でしょう。
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