2012年4月14日土曜日

昔、米国のアトランタで黄熱病が流行したという小説がある。(+米国の黄熱病大流行の年表) 太古の新聞記事など/ウェブリブログ


米国のアトランタで

黄熱病のひどい流行があり

死者が続出したという小説がある。

シャーロック・ホームズが出てくる小説である。

ではエフィーの過去について、

私の知っているだけのことを申しましょう。

初めて知り合ったとき彼女は未亡人だったのですが、

年はまだ25ですから、若かったのです。

そのころはへブロン夫人といっていました。

彼女は若いころアメリカへ渡って、

アトランタの町に住んでいましたが、

そこでへブロンというかなり腕ききの弁護士と結婚しました。

2人のあいだには子供までできましたが、

あるとき黄熱病がひどく流行(はや)って、

良人(おっと)と子供を

一時になくしてしまったのです。

良人という人の死亡証明書を見たことがありますから、

これはまちがいのない事実です。

これで彼女はアメリカにいや気がさして

イギリスへ戻(もど)ってきて、

ミドルセックス州のピナーにいる

未婚の伯母(おば)といっしょに暮らすことになりました。

それは

安楽に暮らせるだけのものを

良人が遺(のこ)してくれたからでもありますが、

この金は4500ポンドばかりですのに、

よほどうまく投資されていると見えまして、

年7分の利回りになっていました。

私と知りあったのはピナーへきて6ヵ月目で、

愛しあった結果

それ� ��ら数週間後に結婚したのです。


シャーロック・ホームズの思い出

著者:コナン・ドイル。訳者:延原謙。ト33 新潮文庫。昭和28年3月10日発行。平成元年6月25日68刷改版。平成19年10月30日105刷。ISBN:9784102134030

(コナン・ドイルの第二短編集The Memoirs of Sherlock Holmesが昭和28年3月頃に訳出されたもの)
p 59の『黄いろい顔』より引用。ただし、改行を変更した。漢数字を算用数字にした。色や文字の大きさを変更した。振り仮名をつける箇所を変更した。


著者であるサー·トーマスの最後の名前

黄いろい顔』(The Yellow Faceは、1893年(明治26年)2月『ストランド』誌に発表されたもの。

上記小説の黄熱病のひどい流行は

1878年(明治11年)のアメリカ合衆国ジョージア州アトランタで

実際に起こったものをさしているのではないかと思われる。

表2 北アメリカ大陸(メキシコより北方)における黄熱病の著名な大流行(epidemics

          場所

1668年(寛文8年):ニューヨーク(ニューヨーク州)、フィラデルフィア(ペンシルバニア州)、他の入植地

1690年(元禄3年):チャールストン(サウ� ��カロライナ州

1691年(元禄4年):ボストン(マサチューセッツ州

1693年(元禄6年):チャールストン、フィラデルフィア、ボストン

1694年(元禄7年):フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン

1699年(元禄12年):チャールストン、フィラデルフィア

1702年(元禄15年):ニューヨーク

1703年(元禄16年):チャールストン

1728年(享保13年):チャールストン

1732年(享保17年):チャールストン

1734年(享保19年):チャールストン、フィラデルフィア、ニューヨーク、オールバニ(ニューヨーク州)、ボストン

1737年(元文2年):バージニア州

1739年(元文4� ��):チャールストン

1741年(寛保元年):バージニア州、フィラデルフィア、ニューヨーク

1743年(寛保3年):バージニア州、ニューヨーク

1745年(延享2年):チャールストン、ニューヨーク

1747年(延享4年):ニューへイブン(コネチカット州

1748年(寛延元年):チャールストン

1751年(宝暦元年):フィラデルフィア、ニューヨーク

1762年(宝暦12年):フィラデルフィア

1778年(安永7年):フィラデルフィア


最上位モデル2012

1780年(安永9年):フィラデルフィア

1783年(天明3年):ボルチモア(メリーランド州

1791年(寛政3年):フィラデルフィア、ニューヨーク

1792年(寛政4年):チャールストン

1793年(寛政5年):フィラデルフィア

1794年(寛政6年):フィラデルフィア

1795年(寛政7年):フィラデルフィア

1796年(寛政8年):フィラデルフィア

1797年(寛政9年):フィラデルフィア

1798年(寛政10年):フィラデルフィア

1799年(寛政11年):フィラデルフィア

1800年(寛政12年):フィラデルフィア

1801年� ��享和元年):ノーフォーク(バージニア州)、ニューヨーク、マサチューセッツ州

1802年(享和2年):フィラデルフィア

1803年(享和3年):ボストン、フィラデルフィア

1804年(文化元年):フィラデルフィア

1805年(文化2年):フィラデルフィア

1807年(文化4年):チャールストン

1811年(文化8年):ニューオーリンズ(ルイジアナ州)、フロリダ州、ニュージャージー州

1817年(文化14年):ニューオーリンズ、チャールストン、ボルチモア

1819年(文政2年):ニューオーリンズ、チャールストン、ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨーク

1820年(文政3年):ニューオーリンズ、フィラデルフィア

1821年(文政4年):ニューオーリンズ、ミシシッピー川流域(Mississippi Valley)、アラバマ州、チャールストン、ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン

1822年(文政5年):ニューオーリンズ、ニューヨーク

1823年(文政6年):キーウェスト(フロリダ州

1824年(文政7年):ニューオーリンズ、チャールストン

1825年(文政8年):モービル(アラバマ州)、ナチェス(ミシシッピ州)、ワシントン

1827年(文政10年):ニューオーリンズ、モービル


ジョージアmiminum賃金とは何か

1828年(文政11年):ニューオーリンズ、メンフィス

1829年(文政12年):キーウェスト、モービル、ナチェス

1837年(天保8年):ニューオーリンズ、モービル、ナチェス

1839年(天保10年):ガルベストン(テキサス州)、モービル、チャールストン

1841年(天保12年):キーウェスト、ニューオーリンズ

1843年(天保14年):ガルベストン、モービル、ミシシッピー川流域(Mississippi Valley)、チャールストン

1847年(弘化4年):ニューオーリンズ、モービル、ナチェス

1852年(嘉永5年):チャールストン

1853年(嘉永6年):ニューオーリンズ

1854年(安政元年):ニューオーリンズ、モービル、アラバマ州、チャールストン

1855年(安政2年):ミシシッピー川流域(Mississippi Valley)、ノーフォーク

1856年(安政3年):ニューオーリンズ、チャールストン

1858年(安政5年):チャールストン

1867年(慶応3年):キーウェスト、ガルベストン、ニューオーリンズ、モービル、フィラデルフィア

1870年(明治3年):ニューヨーク

1873年(明治6年):ニューオーリンズ、ミシシッピー川流域(Mississippi Valley)、アラバマ州、メンフィス

1876年(明治9年):チャールストン

1877年(明治10年):ポートロイヤル(サウスカロライナ州

1878年(明治11年):ニューオーリンズ、メンフィス、ミシシッピー川流域(Mississippi Valley)、セントルイス(ミズーリ州)、チャタヌーガ(テネシー州)、多くの他都市

1879年(明治12年):メンフィス

1905年(明治38年):ニューオーリンズ

a WHOが公表した表(出典186. Vaino J, Cutts F. Yellow fever. Geneva:WHO/EPI/GEN/98.11:78(1998).)を改変した。

b この表の地名の中には、州や地域を記したものがある。

 その場合、含まれている都市は明記していない。

↑ 下記論文の


Table 2. Notable epidemics of yellow fever in North America , north of Mexico
参考として、現在の地図を載せた箇所がある。

黄熱病の歴史

アジア

黄熱病の媒介蚊であるネッタイシマカは

アジアでは、広範囲に生息している。

しかし

理由は不明であるが

黄熱病の流行は、アジアでは、一度も記録されたことがない。

↑ 『Climate Change and Mosquito-Borne Disease
Paul Reiter
Dengue Branch, Division of Vector-Borne Infectious Diseases, National Center for Infectious Diseases, Centers for Disease Control and Prevention, U.S. Department of Health and Human Services, San Juan, Puerto Rico)の一部を私が和訳したもの。

今回、私が和訳した箇所の原文を下記に記す。

ただし、Table 2は除いた。


Asia. Ae. aegypti is widespread in Asia, but for reasons that are not clear, yellow fever transmission has never been recorded there.

なお、黄熱病がアジアで流行することはあり得ないと考えてよい。

今までに、アジアで黄熱病が流行したという記録がないからである。



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