2012年4月14日土曜日

Et Alores? - Yahoo!ブログ


*ダートムーア*

ゆっくり起きてシャワーを浴び、のんびりとした朝食。ミューズリ、トースト、オレンジジュース、もちろん紅茶。昨夜はValと遅くまでカカオリキュールなど飲みながら話していたので、あまり食欲はない。今日は日曜日、Alanが休みなのでドライブに連れて行ってくれる。予定はプリマスの町を一回りして、ダートムーアへ。まず明日ロンドンへ行く切符を買っておくために駅へ寄る。バスを使う予定をしていたのだが、ちょうどバンクホリデー(八月最終月曜日、夏休み中最後の連休)にあたり、道路は日本のゴールデンウイーク状態。金曜の午後から地方へ出かける人が多く、道路の混雑がTVでしばしば放送されている。何処の国でも同じ光景が見られる。こんな渋滞に引っかかったら普通は4時間で行けるロンドンまで何時間� �かるか分からない。料金は倍チョットするけど電車にした。Alanは心配して「家族車両」にした方が良いと薦めてくれる。そうすれば隣に座る人も家族連れなので安心ということだ。いまさら隣に誰が座ろうと気にする年でもないが、忠告通り「ロンドンまで片道,家族車両」を買った。 £41。


港に面したThe Hoeと呼ばれるあたりを散策。昔の面影を残した小さな通りには土産物屋が並んでいる。プリマスは今では温暖な保養地という印象だが、この港からは数々の歴史的な旅立ちがあった。1588年ドレーク船長がスペインの無敵艦隊と戦うために出航したのはここプリマスから、みごとイギリス軍はアルマダを撃墜した。1602年多くの清教徒を乗せたメイフラワー号がやはりこの港からアメリカ大陸を目指した。港をめぐる遊歩道にはこれらの記念プレートが取り付けられている。


メイフラワー号出航記念の地


ポストイベントレポートを書き込む方法

そういえば以前Valの所に来たとき、Alanがアルマダ(無敵艦隊)撃沈400年記念のマラソンコース制定と警備の仕事で、家にまで仕事を持ち込んでいた。Alanはデヴォンシャーの警察官、昔、警察クラブにも連れて行ってもらったことがある。ダーツもビリヤードもそこで初めて教えてもらった。こんなのどかなイギリスの片田舎の警察官が数年前、ニューヨーク警察で講演した。何について話したのかは聞かなかったが、ニューヨーク警察の方がずっと緊迫した状況に置かれていて、現場の対応も慣れているのでは?と思ってしまったが、もちろんそんなことは口に出さなかった。バーンステープルに住んでいた頃、Alanはパトロール途中で家に寄り、� ��トカーを家の前に止めたまま制服姿でお茶を飲み、一休みしてまた仕事に戻ったりしていた。田舎の警察官の、のどかな仕事風景を思い出す。

ダートムーアに向かう。イングランドで一番標高が高いこのあたりには、氷河によって運ばれた大きな岩があちこちに残っている。先史時代からの遺跡や遺構が点在し、トレッキングには絶好の土地だが、その荒々しい景観から幽霊伝説や数々のミステリアスな噂の残る荒地でもある。沼地に浮かぶシルクハットを拾い上げるとその下から笑った首だけがついてくると言う伝説、幽霊の住む宿屋、荒野を駆け抜ける首のない馬に乗った首のない騎士、馬やバイクのバランスを急に失わせる大きな毛深い手・・・いまだにHairy Handsの仕業としか説明のつかない原因不明の自動車事故も起きている・・・等など20世紀始めになっても数々の体験談、目撃談が報告されている。天気の良い夏の日はどこまでも続く緑の牧草地に点在する先史時代の遺跡を巡り、のんびりと草を食む羊、牛、そしてダートムーアポニーを眺めながら自然を楽しみ、トレッキングする人のグループがたくさん見られる。しかし、ひとたびルートを外れると草原の影には底なしの沼地が隠れていて、命を落とした人も数多い。また一瞬のうちに霧がたちこめ、進む道が閉ざされ方向を失ってしまう。このような自然環境がコナン・ドイルにシャーロック・ホームズの名作、「バスカヴィルの犬」を書かせたのだろう。コナン・ドイルが滞在して執筆活動をしたホテルは現在ビジターセンター� �なっている。アガサ・クリスティが最初のミステリー「スタイルズ荘の怪事件」を書いたホテルは今も営業していて泊る事が出来る。


オープントップスイミング

ダートムーア・プリズン

広大な荒地の一角に現在も使われている刑務所がある。Alanがここからは絶対に脱獄は出来ないと言っている。森や林がなく潅木が少しあるだけの荒地で、もし脱獄が分かればヘリコプターが出動し、上空から探せば荒野を動き回る人影はすぐに見つかる。闇に隠れようとしても、底なし沼と突然現れる霧から逃れる事はできないのだそうだ。さすが警察官の意見だ。


この地帯は泥炭地のため、湧き出る水はネス湖の水の色と同じ、透明な少し茶色がかった黒色をしている。流れる川も黒い川。Two Bridgesの下を流れる川の水も透明な少し緑がかったコーヒーのような水が流れている。

今もその姿を変えていない中世の村がひっそりと残り、観光客を相手にパブや宿屋を経営している。 かわいらしいB&Bもあるので泊ってみたい。そんな中の一つ、旧領主の館でひと休み。18世紀の建物で大きな暖炉とアンティックに囲まれた広い居間で、ゆったりとした革張りの椅子に座り、庭を眺めながらフレッシュ・オレンジ・ジュースで喉を潤す。

再び時間が止まったような村を通り、いくつかの歴史的建物や遺跡を見ながら、19世紀初めベッドフォード公のために建てられたエンズレーハウスへ。


ここはAlanお勧めの場所で、伝統的なアフタヌーン・ティが楽しめる。個人の住まいだったこの建物も12世ベッド フォード公死後、夏の間だけごく限られた人の宿泊を受けている。さすがダートムーア、あんなに良い天気だったのに小雨が降りだした。お茶の支度が出来るまで庭を散策する。敷地内を流れる川の水音、遠くに聞こえる小鳥の声、そして静かに降り続く雨が木々の葉を揺らす音、人工的な音が何も聞こえない静寂の時空間を楽しむ。こういう静けさの中に来ると会話も控えめになる。きれいに整備された庭の中ほどにある、壁に貝がいっぱい貼り付けられている東屋で景色をたのしみ、一休みする。


トップファッション企業

「お茶の用意が出来ました。」 テラスにはスコーン、ジャム、たっぷりのクロッテッド・クリーム、数種類のケーキ、そしてポット入りの紅茶が並べられている。Alanが「正しいスコーンの食べ方を教えよう」 と言ってデモンストレーション。スコーンは小皿にとってナイフを使い横に切る。バターを塗り、クロッテッド(デヴォンシャー特有の濃いクリーム)をタップリ、その上にジャムをのせる。濃厚なクリームとフルーツの香りのするジャムの甘さがシンプルなスコーンと混ざり合うと、体重の事など気にかけなくなる。ずっと食べ続けるわけではないし、まぁ〜いいかぁ。フルーツケーキ、しっかりアイシングのかかったチョコレートケーキ・・・30年前3ヶ月間イギリスにいた時、持ってきたGパンが穿けなくなった。昔は体重はすぐ元に戻ったが、今だったら 脂肪はしっかりと蓄積されてしまうだろう。それでもケーキの魅力にはかなわない。

家へ戻る途中Alanの友人の家へ寄る。同僚の警察官であり、牧師さんでもあり、ヘリコプターのパイロットでもある。近所の人が話しに来ていたが、特別お茶を入れるわけでもなく、居間に集まってとりとめもない話をしている。まったく初めて会った私をまるで旧知の友人のように受け入れてくれる。考古学が好きと言うと、隣の教会の庭から掘り出された古いビンをくれた。100年位前のもので、スクリュー式のフタが面白い。チョット私の好きな考古学と違うかなぁ〜っと思うけど、せっかくの好意だから貰って帰る。 一時間くらい近況など雑談して家に戻る。 

一日のドライブ疲れをシャワーでとって一休み。夕食はEmilyも一� ��に郊外のPubへ。古びたたたずまいのパブというより、宿泊も出来るのでInn(宿)と呼んだ方が正しい建物がある。くすんだ太い木の梁が趣を感じる内部、外観は?ライトアップされているわけでもないので見えない。脇道を入った奥まった所にあり、看板もだしていないので地元の人でないとなかなか見つけられないだろう。駐車場の隅で車のライトに照らされて野うさぎの目が光っている。


入り口のバーコーナーで飲み物を買い、食事の注文をして奥のレストランへ。数組の客が静かに食事をしている。Alanはサーモン・ステーキ、Valはロースト・チキン、菜食主義のEmilyは野菜のカレー、私はパンケーキのクリームマッシュルーム添え。どの皿にもイギリス特有のマッシュポテトとグリンピースがタップリ添えられている。そして量が多い!! 半量だったらもっと美味しく食べられるのに・・・なによりティー・タイムのケーキが効いている。

イギリスの食事はまずいというのが定説のように言われているが、私は一度もまずいと思った事はない。個人的な味覚の好みの違いかもしれないが、新ポテトを茹でバターを絡めてディルを散らしただけのもの、フィッシュ&チッ� �ス、コールド・サーモン、フィッシュケーキ、キャセロール、数えればきりがない。 イギリス料理は美味しい。舌平目やキドニーパイも忘れてはならない。厳密に言えばイギリス料理ではないけど、ロンドンで食べる中華料理とインド料理も美味しい。ローストビーフとヨークシャープディングについては、イギリスで一番の高級料理と言われているこの料理を食べに、友人がシティにある某有名レストランに連れて行ってくれた。また家庭でも食べた事があるけど、それ程の印象は残っていない。やっぱり私には庶民的なものの方が合うのかな?

明日はもうロンドンへ。お昼にはJames & Sarah, Emily & Paul, そしてDavid もちろんAlan & Valと全員が揃う予定。Sarahに会うのは初めてだし、Davidも前に会ったのは10歳の時。今は家を出て仕事をしているので時間の都合がつかず、まだ顔を見ていない。私が始めてValの家に行ったのは30年前、その時はまだ子供はいなくて、AlanとValの二人だけの生活だった。その後Jamesが赤ちゃんの時、そして9年前と訪ねる度に子供達は大きくなって、今はそれぞれ独立して、またValとAlanと二人の生活に戻った。PinskもMinskも亡くなって、長い年月が経ったのを実感する。


PinskとMinskの遺骨はメモリアル・ガーデンの一角にある散骨場所に撒かれた。私もコロとチビ子の遺骨と一緒にどこかに散骨して欲しいと思っている。好きなイギリスかフランスが希望だけど、無理なら沖縄へ。数年前に亡くなったイギリスの友人の遺骨は、10歳年下の旦那さんと初めて出会ったウェールズの湖のほとりに、彼女の意思に従って散骨された、とご主人が教えてくれた。70歳を過ぎた彼女だったが、なんとロマンチックなご主人との関係!!

今夜はおしゃべりはそこそこにして、荷物を少しまとめておかなくては・・・

当時デジカメなどもっていなかった。アイルランド最後にフィルム巻取りに失敗してカメラはその後使えない。写真はWikipediaより



These are our most popular posts:

ロンドン奮闘後。~日本での日々~ : 英国 ダートムーア国立公園周辺の ...

2011年5月9日... エントランスを見るのぞき窓?になっている。誰が尋ねて来たか直ぐわかるね ... 有名 な観光都市では無いが17世紀には清教徒を乗せたメイフラワー号がアメリカ大陸を 目指して船出した町としの歴史がある。メイフラワー号出航記念碑です ... read more

アメリカツーリング -BOOK OF TRAVEL- GREARY

先程からこのスタンドには彼以外に人の気配はなかったが、誰がスタンドに残っている のだろう。それにしても、アメリカ人というのは気軽に人にものを頼む人 ... 新大陸を 目指してメイフラワー号がイギリスを出港した。船に乗っていたのは、イギリス教会に 反抗する ... read more

桔印電文 - メルマ

さて、本日九月六日はメイフラワー号出航の日です。 1620年 英国から、メイフラワー号 出航しました。 浪漫を感じずにはいられませんね。 ... 添付・引用を避けて頂きたいのは 誰がこの文章を書いたのか分からなくなる混乱を避ける為です。 ご理解、ご協力の程を ... read more

ボストン郊外・プリマスのみどころ1

ビジターセンターでもらった日本語案内にどこに誰が住んでいるのかの説明があるので、 じっくりと読んでみるといいです。 ... メイフラワー号を現代に復活させようというアイディア を一番最初に考えたのは、アメリカ人ではなく、イギリス人・ワーウィック=チャールトンで した ... そして1957年4月20日、いよいよメイフラワーII世号はイギリスを出航しました。 read more

Related Posts



0 コメント:

コメントを投稿